[たなか side]
「第十四回文学フリマ」終了~ お世話になったみなさま方には、本当にありがとうございました。ぺこり。
さて、あらためまして、今回の文学フリマ合わせで制作されました、たなかが関わっている同人誌一覧です。たぶん、それぞれ、書店委託や通販や今後のイベント等、販売が継続されると思いますので、今回の文フリには行けなかったけど興味はあるよ! という方は、問い合わせをしてみられるといいかもです。一覧は下記です。
『コトリの宮殿』と『シンクロニクル弐號』については、後日、わたしの手元に数部届く予定です。その際にはまたあらためて告知いたしますので、よろしくお願いいたします~
「第十四回文学フリマ」終了~ お世話になったみなさま方には、本当にありがとうございました。ぺこり。
さて、あらためまして、今回の文学フリマ合わせで制作されました、たなかが関わっている同人誌一覧です。たぶん、それぞれ、書店委託や通販や今後のイベント等、販売が継続されると思いますので、今回の文フリには行けなかったけど興味はあるよ! という方は、問い合わせをしてみられるといいかもです。一覧は下記です。
- ▽『ひかり町ガイドブック』/『ひかり町ガイドブック別冊・グルメ特集』(超短編マッチ箱)
- 各 200 円。たなかの手元に数部ありますので、欲しい方は声をおかけください。
発送も受けつけますので、お気軽に~
- ▽『コトリの宮殿』創刊準備号(超短編マッチ箱)
- フリーペーパー。たなかは超短編連載「いつかどこかのものがたり」を担当しています。
- ▽『シンクロニクル弐號 白雪に灯す、夢の断章』 (闇擽)
- 各 600 円。
『コトリの宮殿』と『シンクロニクル弐號』については、後日、わたしの手元に数部届く予定です。その際にはまたあらためて告知いたしますので、よろしくお願いいたします~
2012.05.06
第十四回文学フリマ
[たなか side]
第十四回文学フリマに行くよ。同人誌にも参加するよ。ぜひ行って見て買ってください。どうぞよろしくお願いいたします。
CM をつくってもらっちゃったよ! よみラジの時間にアップされてるので要チェックだ! 甲斐さん、菱田さん、ありがとうございます~
第十四回文学フリマに行くよ。同人誌にも参加するよ。ぜひ行って見て買ってください。どうぞよろしくお願いいたします。
- とき:2012 年 5 月 6 日(日)11:00 ~ 16:00
- ところ:東京流通センター第二展示場(E・F ホール)
- 参加サークルその 1:超短編マッチ箱(配置番号=イ-31)
- 参加同人誌=『ひかり町ガイドブック』『ひかり町ガイドブック別冊・グルメ特集』
+フリーペーパー『コトリの宮殿』創刊準備号
(↑超短編連載「いつかどこかのものがたり」を担当予定です)- 詳細はタカスギシンタロさんの BLOG がいちばん詳しいと思う……
- 参加同人誌=『ひかり町ガイドブック』『ひかり町ガイドブック別冊・グルメ特集』
- 参加サークルその 2:闇擽
(配置番号=イ-23 闇擽+くずかご+眠る犬小屋 3 サークル合体スペース)- 参加同人誌=『シンクロニクル弐號 白雪に灯す、夢の断章』
- 詳細は加楽幽明さんの BLOG の告知記事で確認できます。
- 参加同人誌=『シンクロニクル弐號 白雪に灯す、夢の断章』
- 参加サークルその 1:超短編マッチ箱(配置番号=イ-31)
CM をつくってもらっちゃったよ! よみラジの時間にアップされてるので要チェックだ! 甲斐さん、菱田さん、ありがとうございます~
2012.05.01
よみラジの時間 vol. 27
[たなか side]
よみラジの時間 vol. 27 が公開されました。
今回のテーマは、映画とホラー。そんなわけで(そんなわけで?)拙作からは「コレクター」を朗読していただきました。
超おすすめ!
テキストで読むよりも数倍怖いのは、朗読してくださった甲斐さんと菱田さんの快演によるものです。どっろどろの情念わき出てます。あらためて、朗読のプロの人ってすごい! と思いました。ありがとうございました!
ゲストは、シネマコミュニケーターの中川幸順さんという方。アメリカンホラーとゾンビへの愛、満載のトークでした。ホラー映画スキーな方は聴くといいよ!
そして、毎度お馴染み、中川紺さんの作品からは、「エイリアンテロを阻止しろ!」が朗読されました。作品というよりも、中川さんがご覧になった夢のお話です。で、えーと。この話、長編化されたりしないですか? むちゃ読みたいですよ! そんなわけで、ノベライズ(?)希望~
それからそれから。文学フリマの宣伝をありがとうございます! ほんまありがとうございます! そんなわけで合い言葉は。
GW 最終日は文学フリマへ行こう~!
ですです。よろしくお願いします!
よみラジの時間 vol. 27 が公開されました。
今回のテーマは、映画とホラー。そんなわけで(そんなわけで?)拙作からは「コレクター」を朗読していただきました。
超おすすめ!
テキストで読むよりも数倍怖いのは、朗読してくださった甲斐さんと菱田さんの快演によるものです。どっろどろの情念わき出てます。あらためて、朗読のプロの人ってすごい! と思いました。ありがとうございました!
ゲストは、シネマコミュニケーターの中川幸順さんという方。アメリカンホラーとゾンビへの愛、満載のトークでした。ホラー映画スキーな方は聴くといいよ!
そして、毎度お馴染み、中川紺さんの作品からは、「エイリアンテロを阻止しろ!」が朗読されました。作品というよりも、中川さんがご覧になった夢のお話です。で、えーと。この話、長編化されたりしないですか? むちゃ読みたいですよ! そんなわけで、ノベライズ(?)希望~
それからそれから。文学フリマの宣伝をありがとうございます! ほんまありがとうございます! そんなわけで合い言葉は。
GW 最終日は文学フリマへ行こう~!
ですです。よろしくお願いします!
2012.04.27
水見稜『マインド・イーター[完全版]』
[たなか side]
水見稜『マインド・イーター[完全版]』(日下三蔵編、創元 SF 文庫、2011 年)読了。
なんとも、とらえどころの難しい話でした。けれども、それが決して瑕疵ではなく、本書の魅力になっているというのが、楽しい。
連作短編のカタチをとっている本作の核になるのは、人間を破壊する力をもつ、M・E=マインド・イーター。けれども、読み進めるうちに M・E の輪郭がはっきりしてくることだろうなどという期待をもって読むと、肩すかしを食らう。M・E の謎ときに焦点をおいて読む話ではなく、M・E をお題にしたそれぞれの短編のなかで試されている、あらゆるアプローチを楽しむ作品集ではないかと。わたしの読み方はそんな感じでした。
短編それぞれが据えるテーマは異なり、その作品が抱えるイメージも、それぞれ別のもの。それぞれのエンディングまで読み切ったときに、すべての謎が解けるわけではないし、すべての問題が解消されるわけでもない。それでも、その作品内に出てくる登場人物や、M・E を媒介にして現れる事象、そういったものを手がかりに、なぜ、なぜ、と考えながら読み進めるのが、とても楽しかった。手がかりを集めながら、自分のなかで像を紡いでは、それを壊すことを繰り返す楽しさというのか。
こうした読み方が、水見さんの意図されている読み方なのかどうかというと、あまり自信がないけど。(^^;)
巻末に飛浩隆さんによる解題のようなものが掲載されている。そのなかでの示唆が腑に落ちることが多く、なるほどなー、と思いながら、面白く読み進めた。
飛さんが挙げられていた、「魅惑的な『戸惑い』」こそ、わたしが本書を読んでいる最中に存分に感じていたことだった。けれども飛さんは、その過去の記述を撤回しなければならないと言われる。この連作のもつ意図に気づいたときに、「個々の作品どうしがいかに緊密な関連のもとに書かれているかが、鮮やかに浮かびあがってくる」のだと。
また、さらに日下三蔵さんの「解題」のなかでは、「ひとつひとつの短篇が、基本フォーマットに対して並列ではなく、前の短篇の上に次の短篇が積み重なっていくような実験的なスタイル」であると解説されている。
本書は「完全版」と銘打ってあるが、本書のなかで描かれた世界は、水見さんのなかに広がっている「マインド・イーター」世界のカケラなのだろうと思う。本書を読むことで自分のなかに広がった、ぼんやりとした「マインド・イーター」世界を眺めつつ、もっと水見さんの書かれる「マインド・イーター」を垣間見たい、読みたい、と思うのは、読者の勝手な感傷なんだろうなぁ。
けれどもまだわたしには、ゆっくりと味わいながら再読するという楽しみが残されている。嬉しい。
水見稜『マインド・イーター[完全版]』(日下三蔵編、創元 SF 文庫、2011 年)読了。
なんとも、とらえどころの難しい話でした。けれども、それが決して瑕疵ではなく、本書の魅力になっているというのが、楽しい。
連作短編のカタチをとっている本作の核になるのは、人間を破壊する力をもつ、M・E=マインド・イーター。けれども、読み進めるうちに M・E の輪郭がはっきりしてくることだろうなどという期待をもって読むと、肩すかしを食らう。M・E の謎ときに焦点をおいて読む話ではなく、M・E をお題にしたそれぞれの短編のなかで試されている、あらゆるアプローチを楽しむ作品集ではないかと。わたしの読み方はそんな感じでした。
短編それぞれが据えるテーマは異なり、その作品が抱えるイメージも、それぞれ別のもの。それぞれのエンディングまで読み切ったときに、すべての謎が解けるわけではないし、すべての問題が解消されるわけでもない。それでも、その作品内に出てくる登場人物や、M・E を媒介にして現れる事象、そういったものを手がかりに、なぜ、なぜ、と考えながら読み進めるのが、とても楽しかった。手がかりを集めながら、自分のなかで像を紡いでは、それを壊すことを繰り返す楽しさというのか。
こうした読み方が、水見さんの意図されている読み方なのかどうかというと、あまり自信がないけど。(^^;)
巻末に飛浩隆さんによる解題のようなものが掲載されている。そのなかでの示唆が腑に落ちることが多く、なるほどなー、と思いながら、面白く読み進めた。
飛さんが挙げられていた、「魅惑的な『戸惑い』」こそ、わたしが本書を読んでいる最中に存分に感じていたことだった。けれども飛さんは、その過去の記述を撤回しなければならないと言われる。この連作のもつ意図に気づいたときに、「個々の作品どうしがいかに緊密な関連のもとに書かれているかが、鮮やかに浮かびあがってくる」のだと。
また、さらに日下三蔵さんの「解題」のなかでは、「ひとつひとつの短篇が、基本フォーマットに対して並列ではなく、前の短篇の上に次の短篇が積み重なっていくような実験的なスタイル」であると解説されている。
本書は「完全版」と銘打ってあるが、本書のなかで描かれた世界は、水見さんのなかに広がっている「マインド・イーター」世界のカケラなのだろうと思う。本書を読むことで自分のなかに広がった、ぼんやりとした「マインド・イーター」世界を眺めつつ、もっと水見さんの書かれる「マインド・イーター」を垣間見たい、読みたい、と思うのは、読者の勝手な感傷なんだろうなぁ。
けれどもまだわたしには、ゆっくりと味わいながら再読するという楽しみが残されている。嬉しい。
2012.04.26
「よみラジの時間」一周年記念~公開収録とか、やっちゃいましょうかぁ~
[たなか side]
「『よみラジの時間』一周年記念~公開収録とか、やっちゃいましょうかぁ~」開催決定!
あの「よみラジの時間」が、公開収録をやっちゃいます! 漏れ聞くところによると、なんと豪華ゲスト盛りだくさん! 朗読盛りだくさん、トーク盛りだくさん、CM もその場でつくっちゃうよ、という、大企画です!
朗読作品は、いつにもまして多彩です。そして、拙作もまた、ちょこっと参加させていただいています。やふー。
わたしの当日参加は、綱渡り気味デス。当日までの仕事の進行具合にかかっている感じデゴザイマス。でも、なんとか都合をつけて行くぞ! 行きたい! 行ければいいな、行けないかな……と思ってます……
そんなわけで、当日時間のある人は、中崎町に行くとイイよ! わたしもできるだけガンバリマス。
「『よみラジの時間』一周年記念~公開収録とか、やっちゃいましょうかぁ~」開催決定!
あの「よみラジの時間」が、公開収録をやっちゃいます! 漏れ聞くところによると、なんと豪華ゲスト盛りだくさん! 朗読盛りだくさん、トーク盛りだくさん、CM もその場でつくっちゃうよ、という、大企画です!
朗読作品は、いつにもまして多彩です。そして、拙作もまた、ちょこっと参加させていただいています。やふー。
わたしの当日参加は、綱渡り気味デス。当日までの仕事の進行具合にかかっている感じデゴザイマス。でも、なんとか都合をつけて行くぞ! 行きたい! 行ければいいな、行けないかな……と思ってます……
そんなわけで、当日時間のある人は、中崎町に行くとイイよ! わたしもできるだけガンバリマス。
- とき:2012 年 4 月 26 日(木)19:00 開場
- ところ:大阪・中崎町 common cafe
2012.04.24
「太り続ける女」公開(Anima Solaris No. 143)
[たなか side]
Anima Solaris No. 143 に、短編「太り続ける女」を掲載していただきました。素敵な惹句もつけてくださり、ありがとうございます。
よろしければ読んでください。感想をいただけるとさらに嬉しうございます。どうぞよろしくお願いします。
Anima Solaris No. 143 に、短編「太り続ける女」を掲載していただきました。素敵な惹句もつけてくださり、ありがとうございます。
よろしければ読んでください。感想をいただけるとさらに嬉しうございます。どうぞよろしくお願いします。
2012.04.22
エルサ・モランテ『アルトゥーロの島』/ナタリア・ギンズブルグ『モンテ・フェルモの丘の家』
[たなか side]
池澤夏樹編『世界文学全集I-12 エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」(中山エツコ訳)/ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」(須賀敦子訳)』(河出書房新社、2008 年)読了。
「アルトゥーロの島」は少年の成長物語。主人公はずっとプロチダという島で育ち、その島から出たことがない。神のように崇め奉っている父親は頻繁に旅行を繰り返しており、主人公はいつか大人になったら、父と一緒にこの島を出て行くのだと決めているが、やがて、その父の姿は自分のつくりあげた偶像だということを知ることになり、かれは父とは関係なく、その島を出ることになる。
個人的にはもう、この年ごろの少年の成長物語は、どうでもいいかなーという感じ。義母との淡い恋の話とか、不安定な思春期とか、鼻につく語りとか、全部もうどうでもいいかなーという感じ。そういう視点での物語が楽しめなくなったというのは、自分も歳をとったということなのかね。
そんなわけで、主人公の思索や、かれがやらかしたあれやこれやとかは割とどうでもよく、わたしの関心はただひとり、主人公の父であるところのウィルヘルム・ジェラーチェでありました。
この男がもう半端なくいろいろと腹立たしいんだけど、わたしのいちばんの疑問は、なぜヌンツィアータと結婚したのかということだったり。ヌンツィアータを手に入れるために、いちおう努力はしたみたいだし、子どもをなしたりもしているんだけど、なぜヌンツィアータという存在がかれにとって必要だったのかは、さっぱりわからない。時代性とかが関係してくるんだろうか。
主人公の目を通して語られる父親は、傍目にはまったく勝手な男なんだけど、徹頭徹尾「英雄」扱い。この、「完全な男性」としての父親像がどうしようもなく崩れ始めるのが、ステッラという囚人の存在が、主人公に見えるようになってからで。
ステッラへの執着あるいは思慕を見せるウィルヘルム・ジェラーチェは、途端に、自身への自信を失ったよりどころのない人間として、主人公の前に立ち現れ始める。完全に一個の独立した大人の男性としての像ではなく、一方的な愛情を受け入れてもらえないさみしさをもてあます人間として?
このステッラによって、主人公が抱いていた父親像は、こてんぱんにたたきのめされて、主人公にとっての父親のエピソードは、それで終了という形になる。自分にとっては、主人公よりもこの父親のほうがずっと気にかかる存在だったから、もっとこってりとかれのことが知りたかったよ! かれとステッラとの関係についてももっとこってり知りたかったよ! と思うんだけど。まー、そんな話ではないので、その辺は仕方なし。
でも、ウィルヘルム・ジェラーチェとステッラとの関係は、萌えるよね。つか、わたしは萌えました。
しかし、主人公にとってのある意味運命の女性であるヌンツィアータが、自分にとってまったくこれっぽっちも魅力がないのには、ほとほとまいった。うーん、これも時代性?
「モンテ・フェルモの丘の家」は、複数の人間のあいだを行き交う書簡集の形で進む物語。順番に読んでいくと、登場人物の関係や、かれらの人となり、どういう事件が起こったのかをたどっていけるという仕掛けで、とても面白かった。
中心になるのは、昔愛人関係にあったジュゼッペとルクレツィアで、このふたりを送り手/受け手とする書簡がかなりの量になるが、その手紙のやりとりに参加する人数は、かれらの親戚や家族を含めて、かなりの数になる。そして、形式が書簡集なものだから、それぞれの相手に見せるべき顔が、同じ人物であったとしてもそれぞれにあって、伝えられる情報には主観がまじっていて、虚勢をはってみせたり、同情心を起こしてみたりと、それがなんともいえず、コミカルだった。ちょっとした喜劇。
だいたい、かれらの書く手紙は長い! 一度に便箋にしていったい何枚書き連ねているのか! そして、その内容がなんとも本音炸裂の代物! なぜこの人相手にここまで詳細なことを告白してしまうかな、そこは黙っとけよ、と思うことまで、かれらはとにかく書き連ねる。そして、自分にはわかっていたよ、というふり。自分の選択は正しいよね、という共感を求める素振り。自分がしたある人についての話をその当人に漏らすなんていけないことだわという非難。いやー、人間って勝手だなー。そして、そのそれぞれの選択や言葉に、あー、自分もこういうことしちゃうや、言っちゃうや、ということがてんこもりで、それがさらに笑いをそそられるのは、身に覚えがありすぎて、痛いを通り越して、もう笑っちゃうしかないからなんだろうな。
この物語のなかでは、あらゆる形の家族/恋愛関係が描かれる。ロマンチックラブも、恋愛を軸にしない家族形成も描かれて、とにかく、いろいろな人が一緒に暮らしたり離れたり、もう激動。そんななか、あっちこっちで恋をしては周囲を振り回しまくっているジュゼッペとルクレツィアには、猛省を促したいと思う!(笑) このルクレツィアというのが本当に、非常に勝手な人物で、円満な夫婦関係を築いているくせに、とにかく惚れっぽくて、浮気をしたり、その浮気を正当化して夫を置き去りにしたり、その恋が破綻しても夫との関係は今までどおり続くと思っていたり、そういう関係を「開かれた夫婦」と言ってのけたり、なのにその夫が自分ではない他の女性に情を向け始めたことを知ってショックを受けたり。やっていることはめちゃくちゃなのに、自身を正当化することには実に怠りなくて、腹立たしいことこのうえない! ええ、わたしにそっくりですよ! ←えー?
そんな感じで、けらけらと笑って読み進んでいたんだけど、後半に入ってからばたばたばたと人が死に始めて、びっくりした。
自分がいちばん共感しながら読んでいたのはアルベリーコのエピソードで、かれは父親のジュゼッペとの関係が良くなくて、けれども、仕事で己を立てることができて、そして家族についても、男女のロマンチックラブに基づかない、友情の延長のような形での婚姻を結び、結婚相手の子どもを認知して育てようとし、そういういきさつのなかで徐々に父との関係にも雪解けが見え始めるのだけど。
アルベリーコの結末は、その、かれが選んだ、旧態依然とした家族ではない、友情をその中心とする「家族」のもつ矛盾や弱さを露呈するかのような哀しいエンディングで、読んでいて本当に辛かった。せめて、ジュゼッペと幸せな再会をはたしてほしかったなと。
甘い期待でもって結ぼうとする家族関係は、結局夢のようには続かなくて、あちらにもこちらにも無理が出て、破綻してしまうことばかり。じゃあ、旧態依然とした家族関係を結んでいればわたしたちは幸せになれるの? というと、そういう話でもない。でも、人と人とのつながりを信じられればそれでいいとかいう、そういう甘い話でもない。人と関係を結ぶことの難しさを、あらためて考えさせられました。
それにしても、登場人物たちの生活の中心だった場所が解体していって、かれらが散り散りばらばらになっていく様は、身につまされる。「たまり場」という言葉で語ってしまうと違うものになるのかもしれないけれど、いつまでも同じところに同じ人たちが集うことはないということを追体験して、やはり、さみしい。
ところで、この話、時代背景もあって、書簡集という形になっているけれども、現在なら SNS のログだったりするのかしらね。あちらにはにっこり笑って当たり障りのないことを書き、こちらではその相手に見えないところで毒舌を吐く、それを第三者の立場から見てにやにや笑ったり心を痛めたりするって、今はわざわざ小説の形で読まなくても、日常的に経験していることかもしれないなと思った。ああ、日々高度な読解力が求められている世のなかですこと。
池澤夏樹編『世界文学全集I-12 エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」(中山エツコ訳)/ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」(須賀敦子訳)』(河出書房新社、2008 年)読了。
「アルトゥーロの島」は少年の成長物語。主人公はずっとプロチダという島で育ち、その島から出たことがない。神のように崇め奉っている父親は頻繁に旅行を繰り返しており、主人公はいつか大人になったら、父と一緒にこの島を出て行くのだと決めているが、やがて、その父の姿は自分のつくりあげた偶像だということを知ることになり、かれは父とは関係なく、その島を出ることになる。
個人的にはもう、この年ごろの少年の成長物語は、どうでもいいかなーという感じ。義母との淡い恋の話とか、不安定な思春期とか、鼻につく語りとか、全部もうどうでもいいかなーという感じ。そういう視点での物語が楽しめなくなったというのは、自分も歳をとったということなのかね。
そんなわけで、主人公の思索や、かれがやらかしたあれやこれやとかは割とどうでもよく、わたしの関心はただひとり、主人公の父であるところのウィルヘルム・ジェラーチェでありました。
この男がもう半端なくいろいろと腹立たしいんだけど、わたしのいちばんの疑問は、なぜヌンツィアータと結婚したのかということだったり。ヌンツィアータを手に入れるために、いちおう努力はしたみたいだし、子どもをなしたりもしているんだけど、なぜヌンツィアータという存在がかれにとって必要だったのかは、さっぱりわからない。時代性とかが関係してくるんだろうか。
主人公の目を通して語られる父親は、傍目にはまったく勝手な男なんだけど、徹頭徹尾「英雄」扱い。この、「完全な男性」としての父親像がどうしようもなく崩れ始めるのが、ステッラという囚人の存在が、主人公に見えるようになってからで。
ステッラへの執着あるいは思慕を見せるウィルヘルム・ジェラーチェは、途端に、自身への自信を失ったよりどころのない人間として、主人公の前に立ち現れ始める。完全に一個の独立した大人の男性としての像ではなく、一方的な愛情を受け入れてもらえないさみしさをもてあます人間として?
このステッラによって、主人公が抱いていた父親像は、こてんぱんにたたきのめされて、主人公にとっての父親のエピソードは、それで終了という形になる。自分にとっては、主人公よりもこの父親のほうがずっと気にかかる存在だったから、もっとこってりとかれのことが知りたかったよ! かれとステッラとの関係についてももっとこってり知りたかったよ! と思うんだけど。まー、そんな話ではないので、その辺は仕方なし。
でも、ウィルヘルム・ジェラーチェとステッラとの関係は、萌えるよね。つか、わたしは萌えました。
しかし、主人公にとってのある意味運命の女性であるヌンツィアータが、自分にとってまったくこれっぽっちも魅力がないのには、ほとほとまいった。うーん、これも時代性?
「モンテ・フェルモの丘の家」は、複数の人間のあいだを行き交う書簡集の形で進む物語。順番に読んでいくと、登場人物の関係や、かれらの人となり、どういう事件が起こったのかをたどっていけるという仕掛けで、とても面白かった。
中心になるのは、昔愛人関係にあったジュゼッペとルクレツィアで、このふたりを送り手/受け手とする書簡がかなりの量になるが、その手紙のやりとりに参加する人数は、かれらの親戚や家族を含めて、かなりの数になる。そして、形式が書簡集なものだから、それぞれの相手に見せるべき顔が、同じ人物であったとしてもそれぞれにあって、伝えられる情報には主観がまじっていて、虚勢をはってみせたり、同情心を起こしてみたりと、それがなんともいえず、コミカルだった。ちょっとした喜劇。
だいたい、かれらの書く手紙は長い! 一度に便箋にしていったい何枚書き連ねているのか! そして、その内容がなんとも本音炸裂の代物! なぜこの人相手にここまで詳細なことを告白してしまうかな、そこは黙っとけよ、と思うことまで、かれらはとにかく書き連ねる。そして、自分にはわかっていたよ、というふり。自分の選択は正しいよね、という共感を求める素振り。自分がしたある人についての話をその当人に漏らすなんていけないことだわという非難。いやー、人間って勝手だなー。そして、そのそれぞれの選択や言葉に、あー、自分もこういうことしちゃうや、言っちゃうや、ということがてんこもりで、それがさらに笑いをそそられるのは、身に覚えがありすぎて、痛いを通り越して、もう笑っちゃうしかないからなんだろうな。
この物語のなかでは、あらゆる形の家族/恋愛関係が描かれる。ロマンチックラブも、恋愛を軸にしない家族形成も描かれて、とにかく、いろいろな人が一緒に暮らしたり離れたり、もう激動。そんななか、あっちこっちで恋をしては周囲を振り回しまくっているジュゼッペとルクレツィアには、猛省を促したいと思う!(笑) このルクレツィアというのが本当に、非常に勝手な人物で、円満な夫婦関係を築いているくせに、とにかく惚れっぽくて、浮気をしたり、その浮気を正当化して夫を置き去りにしたり、その恋が破綻しても夫との関係は今までどおり続くと思っていたり、そういう関係を「開かれた夫婦」と言ってのけたり、なのにその夫が自分ではない他の女性に情を向け始めたことを知ってショックを受けたり。やっていることはめちゃくちゃなのに、自身を正当化することには実に怠りなくて、腹立たしいことこのうえない! ええ、わたしにそっくりですよ! ←えー?
そんな感じで、けらけらと笑って読み進んでいたんだけど、後半に入ってからばたばたばたと人が死に始めて、びっくりした。
自分がいちばん共感しながら読んでいたのはアルベリーコのエピソードで、かれは父親のジュゼッペとの関係が良くなくて、けれども、仕事で己を立てることができて、そして家族についても、男女のロマンチックラブに基づかない、友情の延長のような形での婚姻を結び、結婚相手の子どもを認知して育てようとし、そういういきさつのなかで徐々に父との関係にも雪解けが見え始めるのだけど。
アルベリーコの結末は、その、かれが選んだ、旧態依然とした家族ではない、友情をその中心とする「家族」のもつ矛盾や弱さを露呈するかのような哀しいエンディングで、読んでいて本当に辛かった。せめて、ジュゼッペと幸せな再会をはたしてほしかったなと。
甘い期待でもって結ぼうとする家族関係は、結局夢のようには続かなくて、あちらにもこちらにも無理が出て、破綻してしまうことばかり。じゃあ、旧態依然とした家族関係を結んでいればわたしたちは幸せになれるの? というと、そういう話でもない。でも、人と人とのつながりを信じられればそれでいいとかいう、そういう甘い話でもない。人と関係を結ぶことの難しさを、あらためて考えさせられました。
それにしても、登場人物たちの生活の中心だった場所が解体していって、かれらが散り散りばらばらになっていく様は、身につまされる。「たまり場」という言葉で語ってしまうと違うものになるのかもしれないけれど、いつまでも同じところに同じ人たちが集うことはないということを追体験して、やはり、さみしい。
ところで、この話、時代背景もあって、書簡集という形になっているけれども、現在なら SNS のログだったりするのかしらね。あちらにはにっこり笑って当たり障りのないことを書き、こちらではその相手に見えないところで毒舌を吐く、それを第三者の立場から見てにやにや笑ったり心を痛めたりするって、今はわざわざ小説の形で読まなくても、日常的に経験していることかもしれないなと思った。ああ、日々高度な読解力が求められている世のなかですこと。
2012.04.16
よみラジの時間 vol. 26
[たなか side]
よみラジの時間 vol. 26 が公開されました。
春の子たちがわちゃわちゃとカワイイ、中川紺さんの「春」の朗読がオープニングの今回のテーマは、門出の春、でした。そういや、もう年度が改まって半月経ったんですねぇ。月日の経つのは早いですねぇ。
拙作からは、「コンマ 5g の憂鬱」を読んでいただきました。ありがとうございます。
この作品の初出は「ファン交 News 発信ステーション」というメールマガジンです。その節は、掲載いただきありがとうございました。ぺこり。同メルマガでは、不定期で超短編を書かせていただいていて、ほんとにお世話になっております。実は、こちらで発表した、サイト未掲載の作品をためこんでいるので、早く公開したいと思っとります。とずっと思っとります。いったいいつになるのかのぉ……
で。その朗読。聞いてびっくり! なんと語り手が、女声でございました。おー。そーだったのかー。わたしのなかでは完全に、融通のきかない感じの男性のイメージだったので、無器用な女の子に様変わりした語り手が、なんだか微笑ましくてなりませんでした。(^^)
よければぜひ聞いてみてください~
よみラジの時間 vol. 26 が公開されました。
春の子たちがわちゃわちゃとカワイイ、中川紺さんの「春」の朗読がオープニングの今回のテーマは、門出の春、でした。そういや、もう年度が改まって半月経ったんですねぇ。月日の経つのは早いですねぇ。
拙作からは、「コンマ 5g の憂鬱」を読んでいただきました。ありがとうございます。
この作品の初出は「ファン交 News 発信ステーション」というメールマガジンです。その節は、掲載いただきありがとうございました。ぺこり。同メルマガでは、不定期で超短編を書かせていただいていて、ほんとにお世話になっております。実は、こちらで発表した、サイト未掲載の作品をためこんでいるので、早く公開したいと思っとります。とずっと思っとります。いったいいつになるのかのぉ……
で。その朗読。聞いてびっくり! なんと語り手が、女声でございました。おー。そーだったのかー。わたしのなかでは完全に、融通のきかない感じの男性のイメージだったので、無器用な女の子に様変わりした語り手が、なんだか微笑ましくてなりませんでした。(^^)
よければぜひ聞いてみてください~
2012.04.15
清水玲子『秘密』1~10
[たなか side]
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』1(ジェッツコミックス、2001 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』2(ジェッツコミックス、2003 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』3(ジェッツコミックス、2007 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』4(ジェッツコミックス、2008 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』5(ジェッツコミックス、2008 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』6(ジェッツコミックス、2009 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』7(ジェッツコミックス、2009 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』8(ジェッツコミックス、2010 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』9(ジェッツコミックス、2011 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』10(ジェッツコミックス、2011 年)
傑作。
現在連載中のサブタイトルが「END GAME」なので、たぶんそろそろ完結するんだろうけど。いつまでも読んでいたいような、でも、ここまで綺麗に積み上がってきた話なので、そのエンディングをしっかり見届けたいような、複雑な思いで新刊追いをしています。
清水玲子さんは元もと好きな作家ではあったんだけど、実は、のめり込むほどに惚れ込んだ作品は、これまでなかったのでした。わたしのなかでは、『秘密』が清水さんの最高傑作に位置しています。その絵を、ストーリーを、思う存分堪能したい! その一念で、『秘密』はずっと単行本を買い続けています。単行本の判型が A5 判で、本当によかった!
当初は一話完結スタイルだったようなので、清水さんがどのあたりから、『秘密』の全体像をもっておられたのか、読者としては気になるところですが。元もと伏線のつもりで描かれていたものなのか、それとも、話をまとめるにあたって全体を俯瞰するつくりにされたのか。いずれにせよ、そのときどきの薪さんや、その周囲の態度から、深読みできる部分が山のようにあって、単巻で読んでもおもしろいし、通して読むとまた新しい発見があっておもしろい。
ストーリーは毎回、事件が解決して終わり、というかたちに、形式上はなっているんだけど、山のようにつきつけられた問題提起は、現実の問題と同じく、作品のなかでも解決していないことが多い。被害者が加害者に復讐することの是非や、政治・外交問題に絡む、最優先すべき問題の選択と、それを解決するのに必要なことはなんなのか、というあたり、実際のところ、一律に「正解」が見つかる話ではないと思う。
扱われている事件は、性質上、猟奇的なものも多いんだけど、ただ、それを好奇なものとして扱うのではなく、そこに至った背景が丁寧に描かれているので、それで、いったいどうすればこの事件を回避できたの? と問いかけようとすると、わからなくなる。法に反した犯罪をおかした人物を法で裁くことはできるけれども、法で裁くことができない、人間のなかの悪意や、悪意ですらない感情や、それを背景にして、外部に出てくる態度、そういったものが、他者に対して与える苦痛等、もう読んでいて辛くなるほどシビアに描かれていて、人間というものが単純に、悪と正義に分けられるものではないということを、まざまざと感じさせられる。自身はそれらの犯罪に一切加担していないと、いったい誰に言えるのか。
ものすごく、考えさせられる。
そういった問題提起は問題提起として、基本的には、薪さんが、なんらかのかたちで幸せになってくれれば、この話は完結するんだろうなーと思う。薪さんのことを心配している人は、物語のなかにたくさんいるのにね。誰も薪さんを救えない。それが薪さんという存在を、手の届かない偶像めいたものにしているのかもしれないけど。不安定な精神を抱えて、穏やかな眠りからも遠ざけられ、ときにヒステリックな反応を示す薪さんの内部は、ぼろぼろだと思う。
青木に薪さんを救ってほしかったんだけどなー。
薪さんが抱えている、青木に対する願い。確かにそれは、薪さんにとってひとつの救いなのかもしれないけれど。
エンディングがどうなるのか、いま『メロディ』の連載で、話がどんな方向に進んでいるのか、わたしにはわからないんだけど、薪さんのその願いを覆すほどの「希望」が、この先薪さんに現れればいいなと思う。薪さんがこの仕事に関わっている限り、それは無理なことなのかもしれないけど。
でも、ぎすぎすした仕事から離れて、穏やかな生活を送っている薪さんというのがまったく想像できないのも、事実だったり(笑)。でも、どんなかたちになるにせよ、薪さんの抱えている重荷が、少しでも楽になるような、そういうエンディングであればいいなと思っています。
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』1(ジェッツコミックス、2001 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』2(ジェッツコミックス、2003 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』3(ジェッツコミックス、2007 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』4(ジェッツコミックス、2008 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』5(ジェッツコミックス、2008 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』6(ジェッツコミックス、2009 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』7(ジェッツコミックス、2009 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』8(ジェッツコミックス、2010 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』9(ジェッツコミックス、2011 年)
清水玲子『秘密:トップ・シークレット』10(ジェッツコミックス、2011 年)
傑作。
現在連載中のサブタイトルが「END GAME」なので、たぶんそろそろ完結するんだろうけど。いつまでも読んでいたいような、でも、ここまで綺麗に積み上がってきた話なので、そのエンディングをしっかり見届けたいような、複雑な思いで新刊追いをしています。
清水玲子さんは元もと好きな作家ではあったんだけど、実は、のめり込むほどに惚れ込んだ作品は、これまでなかったのでした。わたしのなかでは、『秘密』が清水さんの最高傑作に位置しています。その絵を、ストーリーを、思う存分堪能したい! その一念で、『秘密』はずっと単行本を買い続けています。単行本の判型が A5 判で、本当によかった!
当初は一話完結スタイルだったようなので、清水さんがどのあたりから、『秘密』の全体像をもっておられたのか、読者としては気になるところですが。元もと伏線のつもりで描かれていたものなのか、それとも、話をまとめるにあたって全体を俯瞰するつくりにされたのか。いずれにせよ、そのときどきの薪さんや、その周囲の態度から、深読みできる部分が山のようにあって、単巻で読んでもおもしろいし、通して読むとまた新しい発見があっておもしろい。
ストーリーは毎回、事件が解決して終わり、というかたちに、形式上はなっているんだけど、山のようにつきつけられた問題提起は、現実の問題と同じく、作品のなかでも解決していないことが多い。被害者が加害者に復讐することの是非や、政治・外交問題に絡む、最優先すべき問題の選択と、それを解決するのに必要なことはなんなのか、というあたり、実際のところ、一律に「正解」が見つかる話ではないと思う。
扱われている事件は、性質上、猟奇的なものも多いんだけど、ただ、それを好奇なものとして扱うのではなく、そこに至った背景が丁寧に描かれているので、それで、いったいどうすればこの事件を回避できたの? と問いかけようとすると、わからなくなる。法に反した犯罪をおかした人物を法で裁くことはできるけれども、法で裁くことができない、人間のなかの悪意や、悪意ですらない感情や、それを背景にして、外部に出てくる態度、そういったものが、他者に対して与える苦痛等、もう読んでいて辛くなるほどシビアに描かれていて、人間というものが単純に、悪と正義に分けられるものではないということを、まざまざと感じさせられる。自身はそれらの犯罪に一切加担していないと、いったい誰に言えるのか。
ものすごく、考えさせられる。
そういった問題提起は問題提起として、基本的には、薪さんが、なんらかのかたちで幸せになってくれれば、この話は完結するんだろうなーと思う。薪さんのことを心配している人は、物語のなかにたくさんいるのにね。誰も薪さんを救えない。それが薪さんという存在を、手の届かない偶像めいたものにしているのかもしれないけど。不安定な精神を抱えて、穏やかな眠りからも遠ざけられ、ときにヒステリックな反応を示す薪さんの内部は、ぼろぼろだと思う。
青木に薪さんを救ってほしかったんだけどなー。
薪さんが抱えている、青木に対する願い。確かにそれは、薪さんにとってひとつの救いなのかもしれないけれど。
エンディングがどうなるのか、いま『メロディ』の連載で、話がどんな方向に進んでいるのか、わたしにはわからないんだけど、薪さんのその願いを覆すほどの「希望」が、この先薪さんに現れればいいなと思う。薪さんがこの仕事に関わっている限り、それは無理なことなのかもしれないけど。
でも、ぎすぎすした仕事から離れて、穏やかな生活を送っている薪さんというのがまったく想像できないのも、事実だったり(笑)。でも、どんなかたちになるにせよ、薪さんの抱えている重荷が、少しでも楽になるような、そういうエンディングであればいいなと思っています。
2012.04.15
富士山ひょうた『純情』1~3/『不測ノ恋情』1
[ふゆ side]
富士山ひょうた『純情』1(ダリアコミックス、2007 年)
富士山ひょうた『純情』2(ダリアコミックス、2007 年)
富士山ひょうた『純情』3(ダリアコミックス、2009 年)
富士山ひょうた『不測ノ恋情』1(ダリアコミックス、2011 年)
『純情』のスピンオフだというのを知らずに、あ、富士山さんの新刊が出てるー、という認識だけで『不測ノ恋情』を買ったのでした。作家買いしようとしているわけではないんだけど、富士山さんの本が店頭に並んでいるとつい買っちゃう。←こういうのを作家買いというのかね。
『純情』は、なんというか、読んでいて恥ずかしい話でした。悪い意味ではなくて。なんだろう、なんていうか。若かった頃の自分というか、青臭かったころの自分というか、そういうものをものすごく喚起させる話だったので。そういう意味で、全般的に妙にリアルだったですよ。
わたしのなかには、戸崎的部分も倉田的部分もあって、だから、戸崎・倉田双方の感情の浮き沈みや、そのことによって出てくる態度に、共感できるところがあって。すれ違いとか、ちょっとした喧嘩とかも、全般的に、わかるー! って感じありありだった。だから、読んでいて微笑ましいんだけど、どうしても気恥ずかしさがぬぐえない。そういうのは全部、自分にとって過去のものになったはずなのに、ここで追体験させられますか! 的な。こういうことを考え始めたのって、自分がもう若くないから、っていうか、おばはんだからなのかね…… とっほっほー。
戸崎と倉田のコンビは、相性良さそうだなーと思う。性格的には全然タイプが違うんだけど、お互いに同じものを見てるっぷりが半端ないから。つまるところ、結局両想いで、お互い一緒にいたいんだねー、ってやつだ。
お互いに両想いだっていうのは、冒頭からそうなのに、重ねる時間も言葉もなく関係が始まっちゃって、互いになんとな~く相手のことが信じられないから、小さなすれ違いがちょこちょこ起こったりして。でも、徐々に距離が縮まっていくのが見えるのが、イイ感じでした。
倉田が戸崎に対して感じていた「敗北感」「満足できない」気持ちというのは、わかるような気がする。おまえのほうからは好意を口にしてはくれないのかよー。単純にひと言で言うと、そんなところかね。
でも、倉田のほうも戸崎に意思表示してないよ! そのことには気づいてる? ←こういうあたりが、倉田の自己中心的なところだな~と思う。宮田曰くの「感情でぶつかってくるプライドの高いガキ」の部分は、倉田のかわいいところだと思うけど、そういうのがカワイイのは若いうちだけだぞー。そんなわけで、徐々に成長していく倉田が、ひっじょーに微笑ましかったです。
両想いなのに、「好き」という言葉がお互いになかなか出てこないカップルの話だったけど、だからこそなのかな、互いに初めて相手に想いを告げるシーンが、それぞれとても印象的でした。告白するぞ! って、気合い入れて告げる「好き」ではないんだけど、お互いの関係性の変化がとてもわかる感じだったので。
後半は、倉田の家族の話が中心になるんだけど。このあたりがまた、妙に身につまされる話でした。わたしは倉田と同じ経験をしたわけではないんだけど、両親との距離のとり方というか、そのあたり。
恋愛にしても家族関係にしても、物語は概ねハッピーな感じでエンディングなんだけど。でも、そこから先の倉田のことについては、ちょっといろいろ考えちゃいました。
で、『不測ノ恋情』。戸崎の元カレの先輩、宮田の話でした。しかも、宮田があまり余裕なさげなキャラになっていて、ちょっとびっくりしたよー。
そんでもって、その相手の伊倉が、なんかやなやつだー(笑)。なんとなく、スカしてるっぽい感じがするー!
スカしてるって、死語ですかね……
伊倉も倉田みたいに、もっと余裕なくなって必死になって、恥ずかしいことになってしまえばいいのに、とか思っちゃったことを告白します。ああ、なんて性格悪いんだ、自分……
富士山ひょうた『純情』1(ダリアコミックス、2007 年)
富士山ひょうた『純情』2(ダリアコミックス、2007 年)
富士山ひょうた『純情』3(ダリアコミックス、2009 年)
富士山ひょうた『不測ノ恋情』1(ダリアコミックス、2011 年)
『純情』のスピンオフだというのを知らずに、あ、富士山さんの新刊が出てるー、という認識だけで『不測ノ恋情』を買ったのでした。作家買いしようとしているわけではないんだけど、富士山さんの本が店頭に並んでいるとつい買っちゃう。←こういうのを作家買いというのかね。
『純情』は、なんというか、読んでいて恥ずかしい話でした。悪い意味ではなくて。なんだろう、なんていうか。若かった頃の自分というか、青臭かったころの自分というか、そういうものをものすごく喚起させる話だったので。そういう意味で、全般的に妙にリアルだったですよ。
わたしのなかには、戸崎的部分も倉田的部分もあって、だから、戸崎・倉田双方の感情の浮き沈みや、そのことによって出てくる態度に、共感できるところがあって。すれ違いとか、ちょっとした喧嘩とかも、全般的に、わかるー! って感じありありだった。だから、読んでいて微笑ましいんだけど、どうしても気恥ずかしさがぬぐえない。そういうのは全部、自分にとって過去のものになったはずなのに、ここで追体験させられますか! 的な。こういうことを考え始めたのって、自分がもう若くないから、っていうか、おばはんだからなのかね…… とっほっほー。
戸崎と倉田のコンビは、相性良さそうだなーと思う。性格的には全然タイプが違うんだけど、お互いに同じものを見てるっぷりが半端ないから。つまるところ、結局両想いで、お互い一緒にいたいんだねー、ってやつだ。
お互いに両想いだっていうのは、冒頭からそうなのに、重ねる時間も言葉もなく関係が始まっちゃって、互いになんとな~く相手のことが信じられないから、小さなすれ違いがちょこちょこ起こったりして。でも、徐々に距離が縮まっていくのが見えるのが、イイ感じでした。
倉田が戸崎に対して感じていた「敗北感」「満足できない」気持ちというのは、わかるような気がする。おまえのほうからは好意を口にしてはくれないのかよー。単純にひと言で言うと、そんなところかね。
でも、倉田のほうも戸崎に意思表示してないよ! そのことには気づいてる? ←こういうあたりが、倉田の自己中心的なところだな~と思う。宮田曰くの「感情でぶつかってくるプライドの高いガキ」の部分は、倉田のかわいいところだと思うけど、そういうのがカワイイのは若いうちだけだぞー。そんなわけで、徐々に成長していく倉田が、ひっじょーに微笑ましかったです。
両想いなのに、「好き」という言葉がお互いになかなか出てこないカップルの話だったけど、だからこそなのかな、互いに初めて相手に想いを告げるシーンが、それぞれとても印象的でした。告白するぞ! って、気合い入れて告げる「好き」ではないんだけど、お互いの関係性の変化がとてもわかる感じだったので。
後半は、倉田の家族の話が中心になるんだけど。このあたりがまた、妙に身につまされる話でした。わたしは倉田と同じ経験をしたわけではないんだけど、両親との距離のとり方というか、そのあたり。
恋愛にしても家族関係にしても、物語は概ねハッピーな感じでエンディングなんだけど。でも、そこから先の倉田のことについては、ちょっといろいろ考えちゃいました。
で、『不測ノ恋情』。戸崎の元カレの先輩、宮田の話でした。しかも、宮田があまり余裕なさげなキャラになっていて、ちょっとびっくりしたよー。
そんでもって、その相手の伊倉が、なんかやなやつだー(笑)。なんとなく、スカしてるっぽい感じがするー!
スカしてるって、死語ですかね……
伊倉も倉田みたいに、もっと余裕なくなって必死になって、恥ずかしいことになってしまえばいいのに、とか思っちゃったことを告白します。ああ、なんて性格悪いんだ、自分……
